栗木京子『新しき過去』短歌研究社,2022.09
センシティヴなものを手にしているようでありながら、大胆な印象をまとっている一首。
上の句、「束ねればきれいに見える花が好き」。
一本でも凛として佇むものではなく、束ねるからこそそのうつくしさの映える「花」が「好き」と語り手は述べますが、
この「束ねれば」はいっぽうで、束ねない、一本のひ弱な存在のことを〈無〉として捉えていることとも思える。
一字空けののちの下の句、「木枯らし一号吹く街をゆく」は、きっとちょうど今くらいの時季。
四季の移り変わりの本領を発揮され、ここ数日でめっきり肌寒くなってまいりましたが、
その変わり目を楽しむように、作中の主体である〈私〉はその「街」を闊歩してゆきます。
この歌の語り手の、まるで「花」のみならず、世界のいろいろなものを束ねているような手つきによって、
最後の「木枯らし一号」すらも、この〈私〉の身に纏われているアクセサリーのような煌めきをはなっています。
ともすると、神の視点を持つような語り手は、ほんとうに〈神〉としての役割を担っていて、
「束ねればきれいに見える」とは、「街」にあふれるにんげんたちのことのよう、とも思えてくるから不思議です。