紅葉葉の過ぎにし友よ 酒飲んで君の時間を仲間となぞる

佐佐木幸綱『ムーンウォーク』(ながらみ書房、2011年)

 

この「仲間」が、いかにも佐佐木幸綱だなあ、とおもう。もうこの世にはない友をおもって、みんなで酒を飲む。あんなことあった、こんなことあった。話は尽きず、「君の時間」をなぞってやまない。

 

「ぐい呑み」という一連のなかの一首で、歌集では

 

紅葉葉もみじばの過ぎにし友よ 酒飲んで君の時間を仲間となぞる

 

とルビが振ってある。「紅葉葉の」は「過ぐ」にかかる枕詞だ。『万葉集』からも

 

ま草刈るあらにはあれど黄葉もみちばの過ぎにし君が形見とぞ

/柿本人麻呂(巻1・47)

 

松の葉に月はゆつりぬ黄葉もみちばの過ぐれや君が逢はぬ夜の多き

/池辺王(巻4・623)

 

黄葉もみちばの過ぎにし子らとたづさはり遊びしいそを見れば悲しも

/柿本人麻呂(巻9・1796)

 

というふうに、いくつかうたを拾うことができる。たとえば三首目、今はもう亡くなってしまった子ら(といっても、ここでは「いも」、恋人のことで、「ら」は親愛をあらわす接尾語)とかつて遊んだ磯、それを見て、その時間をおもいかえしてしみじみ悲しい一首である。

 

「過ぎにし」は「亡くなってしまった」「この世を去ってしまった」の意。紅葉の葉っぱの散りゆくさまにかさねながら、この世を過ぎて、あの世へ行ってしまったひとをおもうのである。

 

この世の過ごした時間、「君」とあった「仲間」との時間が、いつまでも酒を飲ませる。

 

『万葉集』のうたの引用は、伊藤博訳注『新版 万葉集』(角川ソフィア文庫)から。

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