松村正直『やさしい鮫』,ながらみ書房,2006.09
わたしに書くべきことはもう何もないのではないか、と、絶望に近い感情を抱くことは、少なくない。
そんななかで出会って、こころの救われた一首を。
「反り橋」は、中央が高く、弓なりになった橋のこと。
神社に在るような、歴史の厚みを感じさせるような、粋な橋を思い浮かべます。
作中の主体はその「反り」のより深い橋をまなざし、語り手はその様子を指示しています。
ひらがなにひらかれた「ゆうぐれ」は、この歌を、そして同時に、そこにいる主体を柔らかく包み込むよう。
さらには、この歌を目にするわたしたちのことすらも、穏やかに。
二句目までの実景につなげられるのは、「風景は使い込まれて美しくなる」という、語り手のやや強い口調での呟き。
このとうとつな三句目は、文字通りこの歌の「風」通しをなだらかにさせ、
さらに「使い込まれて美しくなる」という、決定的な下の句によって、
それまでの時間や空間、言葉や喩といったさまざまな次元を爽やかに、優しく着地させています。
夕暮れに映える「反り深き橋」は、どんなにか言葉にせざるを得ない迫力のあったことだろう。
いったい何人の書き手が、その光景を前に言葉を失い、そしてまた言葉へと昇華していったことだろう。
どんなに目に鮮やかな、新しい光景と立ち会っても、この詩型においてはとくに、すでに言葉で以て、何らかのアプローチが済んでいる。
けれど、それに物怖じすることはない、と、まるでエールを送るような語り手の言葉に、救われたのはきっとわたしだけではないでしょう。