千種創一『千夜曳獏』(青磁社、2020年)
「喉の痛み」「うつして」「粥」というところから、風邪の場面を想像する。自分がひいていた風邪をうつしてしまって、こんどはあなたが風邪にかかってしまった。そのあなたに、必ずしもお詫びをするということでもないのだが、お粥を作る。
はじまりの「喉の痛みをうつしてしまい」が独特だ。風邪をうつす、インフルエンザをうつす、とはよく言うが、わたしの「喉の痛み」があなたにうつった。ここにはもう少し、踏み込んだ親密さを感じる。
一首からは、それほど深刻な雰囲気は感じられない。風邪の日の、よく眠って遅い朝、薬のまえに何かを食べる、そのお粥だろう。斎藤茂吉『つきかげ』(岩波書店、1954年)に
冬粥を煮てゐたりけりくれなゐの鮭のはららご添へて食はむと
という一首があって、今日のうたは「はららご」ではないが、やはり鮭の色彩と華やかさがあって、そこにささやかなたのしみがある。
茂吉の「煮る」に対して、「炊く」が使われていることにも注目する。いくぶん地域性のあることばだが、たっぷり汁のしみこんで柔らかくなった鮭粥が想像される。ふやふやふやけ、つやつや光る米粒までもが見えてきそう。
汁の底にうっすら米のあるような粥とはまたちがった、どこかあかるい兆しのある一首である。「喉の痛み」であることが、よりやさしく粥を炊かせるようだ。