てぶくろのはんたいを言へとくりかへす子を抱へあげさかさにつるす

真中朋久『エウラキロン』(雁書館、2004年)

 

子どものころ、冬になると「あかぎれ」や「しもやけ」の手を、まわりにたくさん見た。今でも冬の寒い日などは、ことにもあの痛そうで、痒そうな手を思い出す。そういう季節にさしかかりつつある。

 

「てぶくろ」の反対を言えと言われて、「ろくぶて」(六打て)と返すと、六回叩かれる、というのが子どものころの遊びにあった。どこにでもある遊びなのだろう。叩かれないようにいかにうまく返すか、というのも遊びのうちなのだが、ここではかるく、かわされている。

 

「くりかへす」であるから、この子は「ろくぶて」が返ってくるのを待っているのだ。ぽこぽこぽこぽこぽこぽこと小さい手でその父(だろう)を打つ姿が浮かんでくる。

 

こちらとしても、六回叩かれたところで大したダメージはないのだけれども、まあ、あんまり人を叩くのも良くないので、気乗りしない、といったところか。

 

そもそも子どものペースに合わせる、というのに乗れないのかもしれない。あれこれ返して(あるいは話題をそらして、あるいは何も返さず)、あんまり「くりかへす」ものだから、えい、っと「子を抱へあげ」て「さかさにつる」した。

 

力技なのだが、ここにしずかにもこの子と親の関係が浮かんでくるようでもある。てぶくろの「はんたい」に対して、「さかさ」で応える。一首のなかでは、この位相の違う二つのことばが、しかしくっきりと手をとりあい、そこに一首のたのしみがある。てぶくろの季節になった。

 

うたの引用は、現代短歌文庫『真中朋久歌集』(砂子屋書房、2021年)より。

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