打矢京子『冬芽』(現代短歌社、2022年)
今年も残すところ、ひと月ほどとなった。年々のことだが、やはり果無いというよりほかない。無事に一年を終え、新しい年を迎えることができたなら、そのことだけでよしとすべきだろう。
一首は年越しの夜である。川には瀬と淵とがあって、流れのすみやかなるところを瀬という。それで、十二月にはいって何かと慌ただしくなる頃を年の瀬という。それも今日で終わりである。一首まえに「大つごもり」とある。
「み堂」であるからお寺である。一冊を読めば、このうたのわたしはお寺の者であるとわかるが、それはおのずから、「人人と」という眼差しにもあらわれている。
「人人」が列をつくり、あつまる。今年の無事を謝し、また来ん年の安らかなることを願う。そのこころが、「ともしびの明かきみ堂」をいよいよあたたかく包むようである。厳粛なる風景である。
歌集後半にはまた別の年であろう、
灯に明かきみ堂に祈りし人人はまた新年の夜の闇に消ゆ
という一首がある。お寺の明かりを離れて、またそれぞれの夜の闇へかえっていく。その光景を、ひとりびとりを、お寺の者としてしずかに見守るのである。
雪と白鳥の印象的な一冊で、そのなかに、暮らすということ、命をつなぐということの、ほのかに灯るような一冊である。夜の闇に浮かぶこの「ともしび」を、大切におもう、一首のこころの姿に惹かれつつ読んだ。