雑文を三枚書いていつぽんのマイルドセブンを吸ふはうましも

小池光『サーベルと燕』砂子屋書房,2022年

 

章題は2020年となっているので、同年の歌として読む。マイルドセブンはJTから発売されている煙草の銘柄。ただし、マイルドセブンは2013年にメビウスに名称が変更されていて、マイルドセブンという商品は現在販売されていない。おそらく、メビウスをマイルドセブンという呼称で今も呼んでいるのだろう。

三枚の散文を書くのにはある程度の時間が必要になる。その間は煙草を吸わずに文章を書いていた。文章を書き終えた安堵感と煙草を吸える開放感が結句の「うましも」ににじむ。「三枚書いて」と「いつぽんの」の間には表記上の硬軟の差があり、また意味の詰まり具合に差があって、喫煙に向けて精神が弛緩するような印象を受ける。

 

メビウスよりもマイルドセブンの方が「吸ふはうましも」という結句に対してなめらかに接続されるような気がする。もちろん音数上の要請もあるのだが、マイルドセブンという少し古めかしくなってしまった呼称、そしてその古い名前を呼び続けている主体像が、「うましも」という言葉と響き合う。何よりも、うまそうに煙草を吸うひとが像を結ぶ。

マイルドセブンと呼ぶことで、堆積した人生の時間が少しだけ可視化される気がする。そこには、マイルドセブンがメビウスになってから現在までの時間が横たわっている。その先には、主体がマイルドセブンという名前に慣れ親しんだであろうさらに長い時間が存在する。

 

真夜中に尽きてしまひし星ななつたばこのはこはただ紙となる/小池光『時のめぐりに』(本阿弥書店,2004年)

 

「星ななつ」はセブンスターという煙草の銘柄だろう。元々マイルドセブンは、先に販売されていたセブンスターを吸いやすくマイルドにした銘柄だ。過去にはこのような歌も詠われていて、必ずしもマイルドセブンをずっと吸っているわけではないのかも知れない。それでもやはり2020年のマイルドセブンには堆積する時間を感じずにはいられない。

 

哀愁のセブン・イレブンよりわれはたばこ一箱買ひて出で来ぬ

 

『サーベルと燕』にはこんな歌も収められていて、「哀愁の」は「セブン・イレブン」にかかるのだろうけど、この「哀愁」は煙草を一箱を買う「われ」をも照らす。
そしてそれは、マイルドセブンを手に持った「われ」の過ごした時間をも照らしている。

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