直方体にとどめられたる牛乳のこの世のかたち提げて歩みぬ

辻聡之『あしたの孵化』短歌研究社,2018 年

 

「直方体にとどめられたる牛乳」という表現によって、まず牛乳の白い直方体を想像し、一首を読み下した後に、レジ袋に入った牛乳パックにイメージを修正した。初句の「に」の取りようよって、〈直方体の形にとどめられている〉と〈直方体によってとどめられている〉というわずかな意味の違いを行き来する感じがする。

「直方体にとどめられたる牛乳」がこの世界に存在するのは不思議なこと、この一首を読むとだんだんそんな気がしてくる。

本来、牛の乳は子牛の食べ物であり、人間が介入しなければ、「直方体にとどめられたる牛乳」はこの世に存在し得ないだろう。子牛が飲み、ときに大地にこぼれるのみだ。直方体の豚乳や人間の母乳が基本的には存在しないのに、直方体の牛乳は存在する。それは、至極当たり前なのだけど、考えはじめると不思議なことのように思えてくる。

パック入りの牛乳を買って家路に着くのは、かなり日常的な行為だ。四句目までのすこし大仰な表現によって、その日常の裏側に張り付いた不自然さが垣間見えるような気がする。「直方体」という抽象度の高い表現によって、牛乳も牛乳パックも純粋な物質に近づいてゆく。日常的な飲み物から遠ざかり、なんでこんな白い液体を飲んでいるんだろうか、みたいなよくわからない妄想が頭をよぎる。

結句でもうひとひねりすることもあり得ただろうが、一首は結句で日常に帰着する。それは、主体の帰宅とも軌を一にする。帰宅途上のよくわからない妄想は霧散し、日常に復帰し、普通に牛乳を飲むのだ。

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