藤井 常世『夜半楽』(角川書店 2006年)
だいぶ、日が長くなってきた。
朝、空が明るむのも早いし、夕方も今までの感覚を裏切るように周囲が明るい。春が近いことを思う。
この歌では、まさに夕日が沈む「いま」に立ち会いながら、その遥かな巡りがせつせつと感じられている。
朝、昇った太陽は、日中、世の中を照らし、夕方になると沈む。それを「旅」と見なしているのだが、はっとするのは、それが「鳥よりも風よりもとほき旅」だというところである。
もちろん、実際に、鳥や風の移動する範囲と太陽の動く範囲では、そのスケールが全く違う。はやぶさもジェット気流もかなり速いけれど、太陽は一日で地球の東から西へと移動する(ように見える)。速すぎる。
いや、まずもって、太陽は地球から一億五千万㎞ほども遠くにあり、地球の守備範囲内にない。だから、鳥や風と同じ土俵で比較することが、土台、無理なのだ。
けれど、これが言葉というものの面白いところであって、「夕日」は鳥や風と同列に扱われながら、その詩情を深くする。
「鳥」、「風」、「夕日」。簡潔に捨象されたゆえに生まれた、童話のような根源的な懐かしさが、胸の深いところを温める。
また、結句の言いさしが優しい。
お疲れさま。 遠かったね。
その遥かな旅を作者は愛おしく見つめる。
初句の字余りは、そんな感慨の溢れ、ささやかな昂ぶりである。「しづ~しづ」と擦るように音を重ね、その手触りの中に実感を込めていく。さらに、イ段の音が多いのだが、唇を横に引きながら、一つずつの言葉の感触がくっきりと確かめられていく。今日という日を確かめるように。
本当に大切なものに触れられるような時間。
日々繰り返される、果てしない旅のなかの、たった一度の「いま」。そこに立ち会う奇跡がある。