関 政明『走る椅子』(短歌研究社 2012年)
車椅子に乗っているということは、基本的には自力で立てない状況にある。しかし、日の差し込み具合によって影が長く伸び、まるで立ち上がったかのように見えた。
「ふいに」にはそのことに対する驚きがある。思いもかけないことだった。
この時、自分と影は、別人格のようである。座るわれと、立つ影。
このことを「われ」はどう思ったのか、そこは書かれていない。「朝日」は明るいものを感じさせるのだけれど。
作者は脊髄腫瘍、脊髄空洞症により麻痺を得て三十年間療養生活を送ってきた。
歩くことはできない。そのことが、他の歌からもわかる。
「動かんのか、こんなにしても動かんのか」わが麻痺の脚を父が揺さぶる
障害は個性ではない ベッドよりわれはリフトに吊り上げらるる
「障害は個性ではない」。そう明らかに言い切れるだけの時間をどんなにか重ねてきたことか。だからこそ、
引き籠もりになつてたまるか車椅子の影を引き摺り街へ漕ぎ出す
このような意地も出てくるのだろう。そして、この意地が冒頭の「影」を立たせたのかもしれない、とも思う。
ある朝に。