岡野 弘彦『バグダッド燃ゆ』(2006年 砂子屋書房)
「火遁」は火を使って姿をくらます術。「水遁」は水を利用して身を隠す術。「壁ぬけ」は文字通り、抜けられないはずの壁を抜ける術。いずれも忍者の術策である。
それを「ひねもす」 一日中、曾孫に教えているというのだ。しかも「余念なし」に。とにかく他のことは考えない。集中している。
その生真面目さがとても可笑しい。と、同時に、なぜこんなにも真剣に? という疑念も兆す。もしや、由緒正しい忍術の使い手か。それを、血の繋がった正統な継承者、曾孫へとつなげてゆく、そういう責務を負っているのか。
いや、おそらくは、真剣に遊んでいるのだ。かつて子どもだった頃、夢中になって興じただろうわくわくする世界を、年の隔たった幼い者へ教えながら、いつしか自らにも取り戻されていく喜びがあったのではないだろうか。
と、ここでふと気づくのは、術は、いずれも、逃れるためのものであることだ。手裏剣や、吹き矢のような攻撃ではなくて、火遁も水遁も遁走のためのもの。壁ぬけも、絶体絶命の状況を打破するためのぎりぎりのところでの策である。
してみれば、本当に「をしへ」たいのは、逃げよということか。逃げて、逃げて、生き延びよということか。
わが友の面わ つぶさに浮かびくる。爆薬を抱く 少年の顔
うら若く戦ひ死にし友の顔。老いのおぼろの夢にいでくる
このような歌を向こう側に置いての遊びである。
逃げよ。生き延びよ。
若き者たち。