白瀧まゆみ『自然体流行』(邑書林 1991年)
鮮やかな逢いの歌である。
抱きしめたとき世界が変わる。その衝撃が、鳥の飛び立ちに象徴されている。
数一〇〇〇。相当に多い。それほどの強いインパクト、大きな転換なのである。
鳥が飛び立つということは、上昇すること、空へ、天へと向かうことであり、その方向性によって、祝福のイメージが付け加わる。セレモニーなどで鳩を飛ばす、ピジョン・リリースなども思い出されよう。喜びある飛び立ちなのだ。
と、ここで気になるのは、「君」自身の静けさである。鳥は「君」から飛び立つのではない。そのまわりからだ。つまり、君自身はとても静かなのである、まわりでは一〇〇〇もの鳥の群飛があるのに、君の存在は主張されない。台風の目であるように。
この時、君の驚きを、鳥の飛び立ちとして受け取るのは「私」である。突然後ろから抱きしめられたときの君の心のうねりを、自らのからだで感受した私が、君の代わりに見る。鳥を。一〇〇〇もの鳥を。
鳥は君の言葉である。そして、私は通訳者。君のこころを視覚化する。
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私が住む町には渡り鳥が来る。今季は十七万羽を超えて、今、北帰行が始まっている。その圧倒的な飛び立ちを見ながら、この歌の静けさのことを考える。