receiptの中のpなどどうでもよしどうでもよくて一点減らす

大松達知『スクールナイト』柊書房,2005年
※receiptはレシートとルビ

英単語の綴り間違いによる減点。懐かしい手触りがある。世界史のテストで漢字を間違えたり、数学のテストで過程の数式を書き飛ばしたりして減点をされたりした記憶がよみがえる。答えがあっている分、言いようのない悔しさをおぼえる。(まあ、そうですわな)と納得する部分と(これくらいいいやん、ケチ…)と納得できない部分が同居して、なんとも言えない。

 

解答欄はみだして書く生徒なりき六年間ずつとはみだせり
叱りつつ見れば生徒の足元にからだ支へるごとき影あり
私語ほども罪はなけれど不登校の生徒の親がひたに謝る

 

同歌集『スクールナイト』から引く。作者は英語教師。掲出歌は採点者目線の一首だ。
まず、採点者もどうでもいいと思っていることに小さく驚く。三句目に「どうでもよし」という言い切りがあり、それに重ねて「どうでもよくて一点減らす」という結句にいたる。二回重ねられた〈どうでもよい〉。〈どうでもよい〉という感慨に奥行きが生まれているように思う。
receiptの綴りにpが無いことはある意味では〈どうでもよい〉ことだろう。しかし、そんなどうでもいい誤りを見つけて減点することが主体の職務だ。それは教育上必要なことだろう。それによって生徒は正しい綴りを習得でき、もしかしたそれによって大切な試験で救われることがあるかもしれない。だが、日本語では発音すらされないレシートの「p」の脱落を見つける作業に対して、この溜め息のような〈どうでもよい〉という感慨が響く。「p」の脱落はどうでもいいし、同時にどうでもよくはない。
大人なってあらためて思うとreceiptのpが欠落しているがゆえの減点のようなものはこの社会に充満している。不必要なんだけど出さなければならない書類が漏れて手続きが止まったり、特定の人に話を通していなかったがために結果は問題ないのに怒られたりすることが、ある。
そんな場面に出くわすたびに、この一首を思い出して、(「p」が抜けていたな)と反省をするのだ。

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