口中に舌一枚の重さありて四温ののちを降る雪仰ぐ

青木昭子『深緋』 雁書館,1988年

春のはじめの頃、少しずつ暖かくなり、春だなあと油断させて、また寒くなり雪が降る。少しばかりの驚きを含みながら、寒の戻りに空から降る雪を見上げている。そんな場面だろうか。三寒四温ほどきれいに分かれているかは置いておいて、寒暖を行き来しながら春は訪れる。
一首は自分の体内の描写からはじまる。舌はそこにあり続けるので、なかなか舌の重さを感じることはないのだけれど、雪を見上げるという動作と並行して描かれることによって、「舌一枚の重さありて」という描写には納得感が生じる。また、一首からはひんやりとした外気を感じるので、例えば口を開けて息を吸い込めば、舌の存在感はより増すだろう。字余りで少しもったりとした「重さありて」の三句目が、提示されている舌の重さと響き合う。
舌も口腔も赤色に近いイメージがあり、一首のイメージは赤から白へと移り変わる。同時に温かい体内から寒い外界に一首は展開し、それは冬と春のあわいにある一首の季節感とも響き合う。
「舌一枚」は事実の提示だ。現実に舌は一枚しか持てない。ただ、比喩としては舌は何枚か持ちうるので、「舌一枚」という提示からは比喩としても一枚しか持っていないというような、そんな印象を受ける。それは、結句の「仰ぐ」とも響き合い、季節に対する敬虔さのようなものがにじむ。

夜の水に漱ぎて冷ゆる口中に舌一枚ををさめて眠る

歌集中には「舌一枚」という表現を含んだ歌がもう一首収録されている。この、冷んやりとした水の残した冷たさと、舌が本来持つ温かさが取り合わせられている一首にも、舌を一枚だけ持って生きることへの矜持が小さくにじむような気がする。

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