震災を知らないということだけは知っているただ、知っているだけ

昆野 永遠とわ「気仙沼高校 日々の活動」(2023年)

 

 気仙沼高校文芸部の一生徒が、初めて正面から、東日本大震災に向き合って詠んだうちの一首。

 東日本大震災当時は四歳で、記憶はごく断片的にしかないそうだ。

 ここで胸を衝かれるのは、震災を知らないということへの思いだ。あえて言葉をあてるならば、引け目に似たもの、だろうか。

 気仙沼は津波による被害が大きい町で、この十二年は、とにかく、片付け、再建、追悼、復興……と、〈震災〉が否応なく町を動かしている。震災当時やその後の様子もごく日常的に会話にのぼる。そんな中で暮らしながら、おぼろな記憶しかない自分をどう感じてきたか。家族にも震災の時の記憶がはっきりとある。少し年上の人や、同級生にも、地域のために起業したり、語り部として精力的に活動したりする人たちがいる。そんな中で、自分は何をしているのか。

 

 震災を知らない。そのことだけは知っている。しかし、知っているだけ。二度繰り返される「だけ」が、ときに強く、ときにか細く響く中に、震災と自分との関わりの淡さが、愚直にも似た謙虚さで表明されていく。

 気仙沼に住んでいますと言えば、当然、震災のことを知っているだろうと思われる。しかし、自分にはそこに応えうるものがない。当事者性というのは、この震災において限りなく細やかに個別的に注意深く把握されてきたが、未だ、ここに、ありありとそのルールは生き続けている。

 そして、結句の「だけ」の後には、(知ろうとしていない。何もしていない。)という言葉が隠されている。申し訳なさもありながら、だからと言って明快には動けない自らが、自嘲的に掴まれる。

 

  この町と同じように飲み込まれつめたくまるになるシーグラス

  網入りのシーグラスは丸少しだけ私の心を傷つけていく

 

 シーグラスは浜に打ち上げられるガラス片。海に飲み込まれ、波に洗われ、角が取れて丸くなる。そんななめらかなものにも、時に傷つけられて。

 

 けれど、と思う。知らない、ということから始まるものが確かにある。

 

 震災をおぼろげにしか知らない世代が、歌を詠み始めた。

 

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