『渾沌の鬱』馬場あき子
新桑繭とは今年の蚕の繭のこと。その繭から生糸を取り、真綿にして防寒の衣類にした。絹綿なので軽くて温かいのである。近頃は養蚕の作業を間近に見ることがほとんどなくなったが、人の手で育てられた蚕はやがて繭籠り、蛹となる。その繭から糸を紡ぐのだから、むろん繭のなかの蛹は死ぬ。「新桑繭の背綿」の「ほのかなる」温かさは、数えきれない蚕の命とひきかえであるといっていい。
蝶になることのなかった蚕の一度きりの短い命と、いくたびか季節を繰り返す人間の歳月。作者はそのようなことを思いつつ「老いとは何ぞ」とつぶやいている。結句の「年改まる」という嘆息は深い。それゆえ、蚕のたった一度の春をいただいた背綿はいっそう温かく、老いの身の春を包んだであろう。