雨よりもあはく匂ひてをりし妻いだかないだきてすこし眠らな

成瀬有『游べ、櫻の園へ』
(角川書店、1976

歌集のタイトルのとおり桜の花をうたう一連もあるが、一方で集中ではしょっちゅう雨が降っていて、そちらのほうが気になった。

雨の日のながくしづけきゆふぐれに花白くもつひと木がゆるる
玻璃窓に雨滴いくすぢもかがよひてく垂るるをひとりわが醒む
「時」定めなきごとしげき雨の夜人間の為すことおほよそさびし

今日の掲出歌も、ここに引いた四首も、すべて集中の連作「雨季」から引いた。連作といってもⅠⅡⅢⅣと分けられた全二十八首の長い作品。どうやら主人公は不眠症気味で、その孤独な醒めを訴えたり、「眠らな」と自分に言い聞かせたりしているのだが、降り続ける雨に溶かされるように人間の意志がかぎりなく後退し、歌から主体の精神のようなものを読みとりにくくなる。「人間の為すことおほよそさびし」とまで言うのだからもう主体としても白旗を挙げたようなもの。そんな状況が来る日も来る日も続いていくという時間の流れが感じられる。それはなるほど雨というよりも「雨季」なのだと思う。

さて歌集中では次第にこんな歌が目につくようになってくる。

雨あをく昏るる玻璃に寄りしわれせいよくは時にやさしくきざす
雨ほそく吹きなびきつつ窓冷ゆるこのひそけく結ぶ実もあらむ
昨夜よべ 雨になびき伏したるあら草があまたか黒き実をこぼしゐる

一首目は「雨季」のⅢ、あとの二首は「あをき雨脚」という一連より。雨のほか、窓、雑草といったモチーフが重ねられ、ともすれば似た歌が多いという印象も受けかねないのだが、そんな中、草の芽のようにきざし始める「せいよく」が目につく。「あをき雨脚」の二首の「結ぶ」「こぼしゐる」というのも、性愛やその結果のことを言っているのだろう。そういった流れの中で、今日の一首も読むことができるのではないか。

雨よりもあはく匂ひてをりし妻いだかないだきてすこし眠らな

しかし、その「せいよく」も「やさしくきざす」のだというように、この歌集の語り手はまるでなんでもないもののように控えめに言う。控えめでありながら、繰り返しうたう。うたわずにいられないのは、主体が雨の世界から抜け出すために、「せいよく」を手掛かりにしたからではないか。「雨よりもあはく匂ひておりし妻」を「抱かな」と感じたとき、雨に塗りつぶされるような日々の中で、妻という存在がようやくはっきりと浮かび上がってきた。これで、雨を背景に追いやることができるだ。もっとも、そういった(雨の世界との)抗争ぶくみの展開の中で、妻はあくまで客体として使われているのが少々気の毒ではある。

『游べ、櫻の園へ』は、これまでも、杜沢光一郎『黙唱』、小中英之『わがからんどりえ』をとりあげた角川書店の「新鋭歌人叢書」の一冊。成瀬有については、昨年砂子屋書房より全歌集が刊行された。

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