秋暑し芋虫と羽くつついてたそがれの国のてふてふとなる

 『青眼白眼』坂井修一

 妙な歌である。その妙なところがなにか面白い。「芋虫と羽くつついて」とは蝶の姿のことなのだろう。蝶はよく歌にしているわたしだが、好きというわけではなく、触れるのは全く苦手というわたしにとっても、蝶はまさに芋虫と羽の合体と見える。とくに大きい揚羽蝶の類の芋虫の部分(お腹)が怖い。しかし、作者には蝶への嫌悪感はなさそうで、それが「たそがれの国のてふてふとなる」のを眺めているようだ。「てふてふ」とはむろん蝶々の旧仮名表記だが、では「たそがれの国」とはどこなのだろう。作者が想念を巡らしている夕暮れ時の空想圏のことか、あるいは旧仮名の蝶が舞う古びた〈歌の国〉のことであろうか。ともあれ、この下句のおっとりと優雅な言葉の味わいと、芋虫に羽をくっつけるという我儘な感覚とが結びついた独特な歌というべきだろう。思えば初句にすでに「秋暑し」とあった。たしかに近年の真夏のような秋を体験すると、秋の涼しさの風情など、もう過去の国のものなのかもしれない。二〇一七年刊行。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です