しづかにしづかにパトカーは来てアパートの孤独死が処理された秋の日

 『Bankusia』古志香

 孤独死とは誰にも看取られず、知られずに死ぬことで、無縁死とも独居死ともいわれる。これは、戦後の核家族化の結果として、独居の高齢者が増えたことによるのだが、しかし孤独死はなにも高齢者に限ったことではない。血縁者や友人などがあっても生活上のかかわりをもたない暮らし方が多くなっている現代である。そして今日も、近くのアパートで誰かがひっそりと孤独死したらしく、パトカーが来ているという。「しづかにしづかに」というくり返しには、ひっそりと誰かが片づけられていくことへの傷ましさがあらわれているだろう。警察の手で「処理」されるのは、人の〈死〉ではなく、〈死体〉であるからだ。「処理」という言葉には、そういう苛酷な時代を見つめる作者の冷静な眼と痛みがある。そうして、四句五句の句またがりによるギクシャクしたリズムの中で、「秋の日」の静寂がいよいよあらわになってくるようだ。二〇二四年刊行の第二歌集。

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