そのうちに百鬼夜行に入りゆかむ罅のいりたるみづ壺われは

 『草の譜』黒木三千代

 百鬼夜行とは、さまざまな妖怪や鬼たちが深夜行列をなして徘徊することだが、煤払いなどの大掃除の日に人間に捨てられた恨みから、古道具たちも妖怪に変化して夜行するといわれている。この歌では、「われ」を「ひびのいりたるみづ壺」と喩えている。たしかに罅の入った水壺はお払い箱になるしかないが、いうまでもなくこれは自身の老体の譬えであろう。人の身体は六〇パーセントが水分であれば「みづ壺」に違いなく、また「罅のいりたる」とはあちこちの身体の栓がゆるんできたということだろう。可笑しく、哀しく、諧謔的な自画像である。一つ前の歌には「壺などはもつとも怪し忘られてありしがつひに百鬼夜行す」とあり、忘れられていると妖怪になり果てるという経緯が歌われている。壺のことのような、人間(女?)のことのような歌には「へんげ」というタイトルがついていて、掲出歌の前には「齢をとることはさびしくいぶかしい」と詞書きもついている。「さびしくいぶかしい」老いは、男も女も同であろうが、この歌はやはり女の歌だろう。二〇二四年刊行の第三歌集。

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