さうですと媼の答へさやかなり日向ぼこかと道にし問ふに

 『枇杷の花』玉城徹

 問いと答えが逆順となっているが、一首の興趣はほとんど上句にあるといっていい。それにしても、「さうです」という言葉からはじまる歌も少ないだろう。その端的な歌い出しにまず心惹かれる。歌の場面はよく晴れた冬の日の、散歩の途中の道であろう。出会った「媼」に「日向ぼこか」と問うと、「さうです」と「さやか」に答えたという。そのやりとりが歌われているだけなのだが、いってみればここには一つの世界がある。作者は媼の答えの中に、冬陽の中で「日向ぼこ」することの他に、どんな幸福がこの世にあるかという声を聞きとり、そうして同感したのであろう。人が生きるというのは、おそらくそんな単純なことなのだとこの歌は告げている。
それにしても、この媼のように陽のあたる道端に座って、あるいは街角の椅子に腰かけて、老い人たちはよく飽きずに外を眺めている。むろん老人とは限らないが、時間に追われていない人の楽しみではあろう。世の中の動きから外れたところに別の蜜のひとときがある。「さやかなり」とはそういう世界への讃歌であろう。二〇〇四年刊行。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です