ほろ酔いのときは素直なぼくだからたぶんあなたに恋をしている

𠮷野裕之『空間和音』
(砂子屋書房、1991)

『空間和音』は、俵万智の『サラダ記念日』から四年後に出されている歌集だが、掲出歌を見れば、かの有名な

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
『サラダ記念日』

を思い出されるむきもあるかと思う。私は、𠮷野のこの歌が『サラダ記念日』の一首をふまえて詠まれた可能性が絶対にないとは言わないけれども、しかし二首を並べてみると、まるでデュエットソングのやりとりのように芝居がかって見えてきて、(自分で話題にしておいてなんですが)やっぱりこの二首は引き離してそれぞれに味わった方がいいなあと思う。あのカンチューハイの歌は、おそらくは酔った勢いで実に簡単にプロポーズをしてしまう男を見、おもわず心の中で(口には出さず)ひとりごちたツッコミの言葉であったろう。現実のやりとりを想定しようとするとどうしても無理が出てきてしまう。

『サラダ記念日』の主人公は常に男よりも冷静で深くモノを考えていて、あたまの中でするツッコミが、ときに歌になる。一方で、『空間和音』の歌の数々には、他の歌人に類を見ない天真爛漫さが見てとれる。掲出歌が言っているのは、要するに、酔っていると本音が出てしまいます、ということなのだろうが、ここで不思議なのは「たぶんあなたに恋をしている」となぜだか他人事めいた言い回しをすることだ。自分のことながら状況証拠を分析すると、どうやらあなたに恋をしているらしいですよ、まるでそんな感じだ。なにか胸にイチモツを抱えているようでありながら、それでも暗い思慮の痕跡は消し去って、あえて天真爛漫にふるまう。こうして、ほろ酔いで愛の告白をする男が完成するのだが、俵のカンチューハイの歌が想定していたのは、おそらくはもっと単純でマッチョな男性像であったはずだ。

『空間和音』のページを繰ると、そうした、ちょっと胸に苦しさをかかえながらも、どこまでも突き抜けて明るくいようとする、そんな主人公の大立ち回りを目の当たりにすることになる。

Gパンの腰つややかなあなたゆえぼくは踵で踊り続ける
しんしんと積もりくる鬱 七夕の町中のラブ・ホテルのネオン
日焼けしたセーラー服の少女らはプルシャン・ブルーのことばで話す
「ヒロク―ン、ごはーん」階下より呼ぶこえのする 神かもしれぬ
八月の夜饒舌のわれなれば重き視線をわがものとする

魅力的な姿態に謎のダンスを踊り、階下の母を神とあがめることもある。饒舌になりすぎて向けられる妙な視線を重々しく受け止めたり、ときには鬱々としながらも、明るい方へと目を向けようとする。そうやって楽天性を追求した先で、夏の日の女子高校生の会話に見出したプルシアン・ブルーの色彩。それはたぶん常に浮ついた心を演じ続けた主人公だからこそ、その修練の先の世界に見出すことのできた輝きだ。この三首目は『空間和音』という歌集にしたはめ込むことのできない独自の詩情をたたえているように思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です