郡司和斗『遠い感』
何か商品を手に入れるためには代金を支払わないといけないわけで、水というのも商品であるけれど他のものに比べると水の商品感はうすい。公園に行って蛇口をひねれば出るのも水、少し歩いて川に流れているのも水、空から降ってくる雨も水、日本のどこに行っても無料の水が姿をあらわす。
この歌の水は自宅の蛇口をひねって出てくる水である。水道料金の支払いは滞っていても、人間のライフラインにかかわる大事な要素であり、商品感もうすいので蛇口をひねればある程度の期間、水はひょっこりと出てくる。一方、コンビニエンスストアや近所のスーパーで買う水は代金と引き換えることではじめて自分所有の水としての命が吹き込まれる。代金と引き換えにすることで商品に命が与えられるという思想がしっかりとこの歌の背後にはあるので「ゆ、ゆうれい」という驚きが生まれる。「ゆ、ゆうれい」は三分の二はわざと驚いてみせているけれど、残り三分の一くらいは意外と本気の驚きなのではないかと思う。経済社会の命のからくりをかいくぐって流れている水はたしかに幽霊であるし、スーパーで売られているペットボトル入りの水にはペットボトルという体と水というたましいがあり、蛇口から流れだす水にはたましいしかない。そういう意味でも幽霊である。
この歌では「ゆ、ゆうれい」がもちろん面白く、さらにその幽霊をすぐに飲むのが面白い。幽霊は幽霊だけれど水は水、と瞬時に蛇口から出るものの解釈が首尾よく切り替わる頭の回転のはやさに面白味がある。
ここまでは自宅レベルのミクロの視点から見た読みである。国レベルのマクロの視点から見たとき、水道代を期限を過ぎても支払っていない存在というのは、0か1かで言えば0の止まった存在であり、つまるところ死の側の存在ということになるのではないかと思う。そのなかで水はふつうに生きていて供給されつづけており、むしろ幽霊となるのは水道代を支払っていない側、「ゆ、ゆうれい」と呟く側になる。見る距離によってホログラムのように幽霊が入れ替わる。マクロ視点の幽霊がミクロ視点の幽霊を見て「ゆ、ゆうれい」と驚いている。この歌は「どっちも幽霊だよ」という読み手のツッコミをもって最終的に完成するのではないかと思われる。
サークルクラッシャーだらけのサークルのクラッシュは夏のレモンスカッシュ
