『相澤正歌集』
前回あげた小暮政次の編集による遺歌集。相澤正は昭和19(1944)年、32歳で戦病死している。
「天地」は〈あめつち〉と読んだ。宵闇の中、蛙の声が地から天を揺らすほど盛大に響き渡って、音による空間が大きく立ちあがっている。快と不快、日常と非日常の瀬戸際である地上にこの人は立ち、大きな耳となったからだが細かく振動して揺れている。そして、昼間の地上の熱をうけとめた手のひらで温められたラムネ瓶を一気に飲み干す。喉を震わせながらいっしんに鳴く蛙と、サイダーのぬるい泡がとぼとぼ喉を伝う感覚。このふたつがスライドしながら、読み終えたあと少し時間をかけて窓ガラスのように重ねられてゆく。「一息に」と置かれたのが一首のアクセントでもあり、サイダーのぬるさや気の抜けた状態(でなければ一息で飲めない)の端的な状況説明、さらに何かを飲み干してしまいたいというこの上ない衝動までをたった一語で貫いて表している。19歳の作と聞けばまた印象に影響をあたえるものがある。
次には
乗合船今著きぬらし橋下の闇に声して人は出で来る
とあり、どうやら船から降りてきた蛙も大勢いるようだ。「乗合船」とあるのが人と蛙と周囲を一艘のなかにもろとも溶け込ませている。船の姿かたちは見えず、橋の重量感や存在感、その下に広がる空間や川の存在感が、この場にわずかに感知される。
芝枯れしテニスコートに人来り音読しつつめぐるひととき
これもやはり、テニスコートのラリーの音と、音読のきびきびした発声が対比される。目前にじっさいにラリーが行われているかどうかはさておき、空間と音声が同時に知覚されるべきものとしてあり、その「ひととき」がはたして詩となったことにとても重要な意味があったのではないかと直観される。なんとなく、音や声のともなう作品に興味を引かれ、レコード、映画、電話といったアイテムも目を引く。
積み置きし吾が本のうへに妹は映画俳優の写真を立てぬ
はなやかなる光来りて鳴り出づる音楽にまた君が下りゆく
つぎつぎに掛かる電話に立ちゆきてとりとめもなし吾の答への
レコードの反響やみし地下室に舗道のうへの会話きこゆる
遠くを思うことがどのように身近になったかは風俗として興味深く、その体感の変わらなさに思うものがある。蛙の声を全身で聞いた青年期から12年後、相澤は戦地からこのような歌を作った。
夜清き空にかかれる銀河低しあはれふるさとの盆も過ぐらし