浅井美也子『つばさの折り目』
このお粥は具の何も入っていない、塩のみで味付けされたものだろう。「ましろなる」は色合いを表し、その粥の簡素な味をも表している。みずから進んでそういうお粥を食べようとすることはほとんどないのではないか。豪華な海鮮が盛り込まれた中華粥などではなく、からだの調子が悪かったり、食欲が減退しているときになってはじめて食の選択肢として浮上してくるタイプのお粥である。実際、この一首が入った「とろとろ」という連作では、入院している状況の描写がたびたび出てくる。どのような病かは分からないけれど、軽い病ではなさそうな描写がつづく。このお粥もそうした病院食である。体調の悪さ、食欲のなさからお粥という味気ない、けれどやさしい食事をとっているなかで、突如炎のごとく食欲が湧いている。しかもその食欲はピンポイントで蒙古タンメンを指し示し、欲望の対象となってせりあがってくる。このせりあがりがこの歌の醍醐味だと思う。
「ましろなる粥の喉をおりるとき」のとろみのあるテンポから「蒙古タンメンすすりたしふいに」の疾走感に切り替わるタイミングに違和感がない。白い世界のうちからせりあがる欲望が色鮮やかな「私」となって現れるさまは、人間の脱皮を感じさせる。もしこの下句が「蒙古タンメンすすりたくなる」などであれば脱皮は果たされることなく終わったはずである。「すすりたしふいに」の擦過音や息の量や字余りの速度感があいまって蒙古タンメンそれ自体の赤さや刺激と共鳴し、病身を破ってぬるぬるとしたそれでいてあきらかな「私」を生み出している。と書きながらあ、今若干書き過ぎているなあという気持ちがあるけれど、この歌からはそれくらいの高揚を与えられたのでそのまま消さずに書き残しておく。『つばさの折り目』は全体に抑制の効いた歌集なので、なおさらこの一首の突如として噴き出た感じが際立つものに思われるのかもしれない。
家の飯食めば元気になるという不可思議のあり腹より声出る
早駆けに冬はきたりて着ぬままのブルーのコットンニットさよなら
親のエゴきっちり詰めし弁当の十六穀米ひとくちのこる
あかときの瑞雨に撓むアナベルの副え木のように添いたし子らに
知らぬ間に鍵かけられしスマホ手にマリアのような娘のねむり
横たわる違和うめるため夜はあり素肌のままのあなたを齧る
掲出歌以降、歌集後半の歌から引いた。
前半の作品にくらべると強さに裏打ちされたやわらかさが備わったような、そうした歌が目に入る。「蒙古タンメンすすりたしふいに」のタイミングで、浅井美也子という歌人も何かしらの脱皮を果たしたのではないかと思ったりするのである。
