加古陽『夜明けのニュースデスク』
場面としては朝食なのだと思う。「蜂蜜」はいろいろな料理に使われるものだが、この歌では何かの料理に溶け込ませた蜂蜜という感じはなく蜂蜜そのままの状態で、たとえばパンに塗ったりヨーグルトにかけたりしたものだろう。さらに蜂蜜そのものがあごをしたたってくる様子からするとヨーグルトよりもこれはパンである。パンに蜂蜜をしたたらせたのを食べながら、意識は食べることに集中していない。この歌の前には
目覚めたら毛布二枚に包まってスマートフォンをまず開く癖
NHK、NewsPicks、Twitter確かめてゆく点呼するごと
という歌があるから、スマートフォンを見ながら朝食を摂っているはずである。ただでさえパンに塗った蜂蜜は垂れる。パンを食べることに集中していなければ、より蜂蜜は垂れる。口に運ぶ際のパンの傾きにしたがって蜂蜜はパンからあごに移動する。あごに垂れた蜂蜜を感じながら、それをとたんに拭おうとする動きはない。やはり意識はスマートフォンのなかのニュースにある。
共同通信の修正電文流れきてひと文字直す「る」から「た」へと
寝起きからニュースに目を通し、仕事もニュースである。寝る時間以外はニュースが生活の中心を占めている。「まみれ」がよくあるデフォルメされた表現としてではなく事実を表す表現となってこの歌に定着していて、ゆるぎがない。この歌が面白いのは自身の仕事に専心するビジネスマンのすがたが浮かんでくるのと同時にニュースを薬物のように摂取している人間のすがたも浮かんでくるところである。「蜂蜜が頤を垂る」を少し目を細めて見れば、スマートフォンを片手にほとんど涎を垂らしているような人間のすがたが映る。朝食を摂取しているように描かれているものの、ほんとうに摂取しているのは薬物のようになったニュースのほうである。そうしたなかで呟かれた「逝く日までニュースにまみれ生きてゆくのか」はふと浮上した明晰な意識による自問だが、その自問もまもなく刻々と更新されるニュースに塗りこめられていくような気配に包まれている。
午前三時タクシーを降り教会の門前に猫と五分会話す
