ほんたうに桃とおもへるうちはいい桃だから手にとつてごらんよ

『遣らず』平井弘

季節がら、世に桃風味の商品があふれてきた。オレンジとかリンゴ、ここまでは実際に果実から作られているという感覚が得やすい。オレンジを絞り、リンゴを擂る工程が身近だからか実感となりやすい。かたやブドウ、マンゴー、桃といったグループ。右に行くにつれて、現実の果実と直結する絵が浮かびにくいというか、特に桃についてはあからさまにピンク色をしていたり、ときに桃フレーバーであったりして、夢に流れてきた桃を、さして歯ごたえもなくうっとりと啜っている感覚になることがある。パッケージの桃色の世界に、視覚を通しておのずから脳が吸い込まれていくような感じ。

一般に共感されるものなのかわからないが、桃に秘められた夢の性質、これを言っている歌なのだろうなと思う。桃は現実にも傷みが早くて、初めはとても硬いのに機を逃すと外側からぶよぶよになっていく。「ほんとうに桃」と思えているうちは桃である。やがて、そう思えなくなる日が来ることを言っている。はじめから現実の兆しを目元に宿した、少し切なくなる歌。

むぎ畑のあんなに黒いのがからすであるうちはいいつてことか
まだいいからおまへが鴉だつたときにみたことを話してごらん

このように歌のなかにある種の経過や推移が溶け込んでいる。光景にふと紛れ込む不穏、あるものと言い切られる前世の記憶。

もともとゐないからすぐにゐなくなつてともかくも蛍まつりとか

死者の魂は蛍であり、あの集団の明滅が、または虫としての寿命の短さが、いる/いないの対比をちょうど現実にあらわしたものとする歌。ところが「もともとゐないから」と始まるために、いる/いないというより、いないことの中に微妙なグラデーションがあること、暗くなった夜空が黒いままかわるがわる点滅しているような、実際にはあまり起こることのない場面が再現されている。「ともかくも」にも何か言いたくなるが、そこまで書き連ねると余分に言いすぎるという予感がして、手を出さずに漆黒の明滅を眺めるほかない。

たまにはゑのころを抜くがいいいろはにほへとと書いてみればわかる

この歌集を読んで何が言いたかったかというと、この下句の「いろはにほへと」のようなこと。「あいうえお」と同じ意味・目的・用途なのに、文字をばらばらに組み合わせただけで全く異なる印象になる。そういう世界の出し抜けな変化がふとわかるときがある。道端に伸びるえのころを抜くような脱力したしぐさで、その変化には気づけるのだという。美しくもありふれた田園の風景の中に、夢と事実がどこまでも溶け込んだ歌集で、麦畑の手前にも奥にも、または只中にも私が立っているような感覚になる。

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