『テリーヌの夢』藤本玲未
命あるものから命の成分を取りだそうとするならば、そこに現れるのは血や熱、拍動、まなざしのようなものだろうか。ほしいもの、願望、そういった動機を外から推し量るときに知らず知らずのうちに追っているのが他者のまなざしなのだと思う。この河童はくっきりとした黒目がちの瞳をもっていて、川の水だか、河原の上からだか汽車に視線を送っている。ほんものの河童を見たことのある人はいない。河童とは実在しない生き物である。命のない、無にあふれると思われている空間から、この人はたしからしい命のあり方をくみ上げている。
網戸網戸網戸のせいと化け物が語るようには腰が上がらず
もう君の痛みではない月光をすりおろす鬼おろしください
人類が溶けて氷河になるように静かな夜の品評会は
「化け物」「鬼」といい、ファンタジーの世界に送り込まれているのが百鬼夜行だという点に不思議な手触りをおぼえる。この歌集に出てくる人びとや寄り合いは何かを少しずつ失っている感じ、それが自然のあり方であろうという感じを漂わせているのだけれど、そういった場面にそっと化け物や鬼が忍び込んでいる。たしかに、網戸というのは類似した機能の品物が少ない。風や空気を通しつつ、なおかつ大きめの埃だとか小さな虫は通したくないという無意識の暮らしのなかでは少々強めの願望をかなえてくれるアイテムであって、まあ化け物も通れないのだろうなと思う。けれど化け物は屋外から猫(実在)のように室内へ入りたがり、この人はその化け物ほどに熱意をもって立ちあがることができない。網戸を境としたささやかなせめぎあいが、手のひら同士を中と外から押しつけあったときにゆわゆわと揺れる網戸そのもののように見える。
「もう君の痛みではない」からは、ひとつにはもう痛くないという慰めの印象を受ける。痛みが痛くなさに変化するまでの時間のスライドである。もうひとつは、ここにいる「君」はいま今宵、百鬼夜行の一員であるから。つまり、もう痛みを覚えなくてよいのだという「君」のスライドである。月光はすりおろせそうな物質とそうでない物質の絶妙なあいだにあると思う。「鬼おろし」が登場した場合に、すりおろせそう側に大きく針が振れる。このささやかで、しかし面白いたちどころの早変わりの変化。
人類が溶けてゆくことはどうも決まっているのだけれど、ここではそれほど悲壮感がない。「氷河」とは流転の象徴であって、溶けたり、凍ったりを繰り返している。途方もない長い時間であっても。そのある一晩、催される品評会がある。順位をつけられることは切なくて、一方では晴れがましいこともある、こもごもの感情が氷河の夜空をせわしくしかし密かに行き交うときに、人類はまだここに生きているのだなあと思うことができるのかもしれない。