海の日の一万年後は海の日と未来を信じ続けるiPhone

toron*『イマジナシオン』

 

ある歌集のことを思うときタイトルより先に歌が出てくることがある。この歌集といえばこの一首、という感じで歌が出てくる。『イマジナシオン』もそういう歌集のひとつなのだが、「この一首」というのが『イマジナシオン』には三首くらいある。そのうちの一首が掲出歌である。この歌にあるのは「海の日」と「未来」と「iPhone」だけでシンプルな組み立てになっている。「海の日の一万年後も海の日」という上句も単純明快であり、複雑な機器であるはずのiPhoneが持つまっすぐな性質を見抜いている。iPhoneには「一万年後が海の日かどうかなんてわかりません」というような慎重さ、優柔不断さがない。一年後にあることは十年後百年後、百年後にあることは一万年後にもある、そういう思考スタイルであるのだろう。一万年後のことを想像すれば「海の日」はもうなくなっているような予感がしてくるし、海そのものも存在しているのか定かではない。にもかかわらず、iPhoneは「海の日、あります」と自信をもって示してくれる。iPhone自体の寿命はおそらく十年も待たずに尽きてしまうのだけれど、その寿命をものともせずに一万年後の日程を内蔵し、iPhoneも持ち主も一万年生き延びるかもしれないという可能性を捨て切らない。てのひらにおさまる小さな機器に秘められた心意気を思うと、その健気さにふと打たれてしまう。iPhoneもわたしも海の日ももうないだろう一万年後から瞬時に遡行して今在ることに辿りつくとき、在ることの有り得なさのようなものが海面のきらめきに重なりながら表れてくるのである。

三首くらいある「この一首」のもう一首。

 

はつ雪と同じ目線で落ちてゆくGoogleマップを拡大させれば

 

パソコンなりスマートフォンなりの画面は平面なのでGoogleマップの拡大は拡大以外の何物でもないのだが、画面と自身のいる空間を一体化させたとたんに拡大は下降に切り変わる。空間意識のちょっとした差異が自身を雪のひとつぶにする。「はつ雪」というのも画面をスクロールしたときの速度にマッチした雪なのだと思う。冬のさなかの「ぼたん雪」ではきっとゆっくりすぎる。引用二首はどちらも俯瞰的な視点を含んだ作品であり、これは作者の資質であるとともにこの二首を選んだ読者であるわたし自身の資質をも照らし出しているのだろうと感じながらこの鑑賞文を打ち込んでいたことを付記しておく。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です