雁行の形変へつつ翔くを見るそのたましひのひとつひとつよ

三井ゆき『水平線』

 

鳥にはほとんど詳しくないのだが、雁が渡り鳥だということはなんとなく知っていて、ただちょっと憶測でものを書くのも心配なので念のため調べたらやはり渡り鳥であった。鳩や雀のようないつでも公園にいるような鳥ではないというところ、季節を背負った鳥でありその飛翔のすがたもその辺の上空を飛んでいるだけだとしても、はるかな距離を背負っているように見えてくるのが渡り鳥なのだと思う。この歌も一首からは遠方から飛来してきたものか、これから遠方へ飛び去っていくものか、また、近所を飛んでいるだけなのか定かではないのだけれど、「雁行」という言葉からは何か遠くへゆくものの引き緊まる気配が醸し出されているように感じるのである。そもそも雁行というV字飛行は先頭の雁が生み出す気流に乗ることで後続の雁が余計なエネルギーを使うことなく飛べる飛行形態であるというから、雁行という飛翔のかたちにはおのずから「遥か彼方」が組み込まれている。

「雁行の形変へつつ翔く」は雁のV字飛行のそのときそのときに見せる歪みの推移がよく出た表現である。一糸乱れぬ、というV字の美しさのほうではなく、何もない空中を飛びつつどうにかこうにかV字を保とうとする懸命さにより重心が置かれている。そしてその懸命さが「たましひ」をむき出しにしてみせる。地上から上空を見上げたときの雁行はちろちろとしたはばたきの総体として人間の目に映るはずだが、「そのたましひのひとつひとつよ」と言葉が発せられたとき、届くはずのない上空の雁にまぼろしの手が差し伸べられていくような、そのまぼろしの手が雁のたましいのひとつひとつを包もうとするような透明な動作が見える気がする。「そのたましひのひとつひとつよ」とすべてひらがなで書かれた文字列や「よ」の詠嘆にはうっとりとしたとろみがある。この感触がたましいの丸みに触れるときの手ざわりを呼び起こしている。その手はあくまでまぼろしであり、雁ははるか上空にいて飛翔しているから人間の手がそれを包むことはあり得ないのだけれど、「たましひ」の一語が不可能性の扉に罅を入れていて透明から半透明へその手を読者に見せつつあるのではないかと感じる。むしろその手を見ることがこの歌を読むよろこびのもっとも大きな部分なのではないかという気さえする。空に差し出されたまぼろしの手を、またその手にあたる上空の風を味わいながら読みたい一首である。

 

ゆつたりと一羽の白鳥翔く空のはてなきといふこと恐ろしき

 

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