散りかけの銀杏が窓に浮いてゐるたのしい秋の断面図鑑

石川美南『体内飛行』

 

いろいろと奇妙な歌だが、(たのしいのか?)という疑義の声があがったことを最初に言っておきたい。「秋の断面図鑑」から想起するのはどんぐりの断面だったり、それこそぎんなんの断面だったり秋に現れるものたちの断面が集まった図鑑なのだけれど、この歌のいう断面図鑑は秋そのものの断面が集まっている。散りかけの銀杏の葉は窓にさしかかったところで切断に遭っている。そしてその状態のまま図鑑に移される。「秋の断面図鑑」とは秋という時間の切断面を集めたものであり、ページをめくれば他にもさまざまな時間の切断面が載っているのだろう。とはいえ、銀杏の葉が窓のそとを散っていく様子は特段珍しいものではない。断面ということで言えば、どんぐりの実のきれいに切られた断面のほうがよほど珍しいのではないかと思う。断面図鑑にもっとも近いものはアルバムだろう。実際にアルバムのことを断面図鑑と言い換えているのかもしれないが、その言い換えによって気づかされるのは森羅万象が日々、時間の断面に直面しているということであり(だからこそ「秋の断面図鑑」は珍しいものが集まった図鑑ではまったくない)、時間は空間という面にあますところなく溶け込んでいるということである。空間に溶け込むことのない純度100%の時間に人は存在できるのか、という想像がよぎったりしつつ、空間だと思っているものがじつは時間であるのだというさりげない指摘はなかなか怖ろしい。あと、「断面図鑑」というかなりシリアスな字面と「たのしい」が妙に近くて胸騒ぎがする。

 

散りかけの銀杏が窓に浮いてゐてたのしい秋の断面図鑑

 

ならば「たのしい」が個人の感情寄りにも読めて、そうであれば「たのしい」に揺れが生じて強度が下がるのだと思うが、

 

散りかけの銀杏が窓に浮いてゐるたのしい秋の断面図鑑

 

だと『たのしい秋の断面図鑑』という本のタイトルである可能性が高まる。本のタイトルであればそれはもう固有名詞となり「たのしい」に揺れの生じる余地がなくなる。明治「おいしい牛乳」と似たような、柔和な顔をしてこちらの感情をぐっと押さえつけてくる圧力を思う。冒頭に述べた「(たのしいのか?)という疑義の声」はこの辺の機微を感じてのものである。たのしいより怖ろしいものを「たのしい」という布でやさしく覆っていく所作込みで、やはりこの歌は怖ろしい。

 

観たいのはかなしい映画 世界中の夕餉のシーンばかり繫げて

 

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