大辻󠄀隆弘『夏空彦』
『夏空彦』にはいきなり噴き出してしまう歌がいくつかある。この歌もそのうちのひとつで「ジェット・ジャクソン三号」だけでもう笑ってしまった。勢いでつけた名前のようだけれど、拗音あり促音あり撥音あり濁音ありの名前で勢いのなかにも懇ろな名付けの感触が溢れていよう。「三号」も超合金ロボットやロケットのような、もはや生物を飛び越えていく名付けの勢いあまった感じがあって並々ならぬ、かつ少し方向のおかしい愛情のほとばしりがある。気になって調べたところでは2000年代に「GO!GO!ジェット」という番組が放送されていてその主人公の名がジェット・ジャクソンであった。もしかしたら、この主人公から来ている名前なのかもしれないが、そうだとしてもそれならそれで二号はどこへ行ったのか、となって楽しい。
「ジェット・ジャクソン三号」は身の回りにあった他者の言葉である。一人のまわりにはさまざまな他者の言葉が飛び交っているわけだが、他の誰でもない大辻󠄀隆弘のまわりに飛び交う「ジェット・ジャクソン三号」でもうひとつ面白いし、それを捕まえて歌にしているのがさらにもうひとつ面白い。短歌の記名性という問題も含みつつ、それでも多少無邪気に面白がっていたくなる歌である。
他者の言葉である「ジェット・ジャクソン三号」以外は自身の言葉であるのだが、「吾子」「にて」「おそらくは」「雌」あたりのじっくりとした言葉運びで「ジェット・ジャクソン三号」を冷ましていく。この冷まし具合も個人的には面白く、今回はなんだか面白いしか言っていなくて恐縮なのだけれど、一首のなかで異なるふたつの言葉の熱量が表れていきながらその先には子どもと大人の生命体としての熱量の差異が浮かび上がってくる。やがて大人の肉体の疲れた重たさのようなものが子どもの熱量、「ジェット・ジャクソン三号」を包囲してゆく。単純に面白い歌でそれだけで十分だと思うのだけれど、面白いだけでは終わらせない微量の苦みを、言葉運びに滲み出る大人の肉体の重たさのなかから抽出しようと思えばできるのではないかという気がする。
雲梯に子をぶらさげて吾にかつて悲しみのなき一日はありつ
