半年前雪が積もった 半年前人にもらったUSBだ

永井祐『広い世界と2や8や7』

 

半年前に雪が積もったことと半年前に人からUSBをもらったことは一人のなかでたしかにリンクする出来事なのだと思うけれど、そして、それを短歌形式に当てはめようとするときに強力な因果関係によってこのふたつはリンクさせられてしまうものだと思うけれど、この歌は言葉の上でのそうしたリンクを嫌っているように思われる。だからと言って口から出た(もしくは頭のなかの口から出た)言葉そのままなのかと言えばそうでもなく、短歌形式が及ぼす歪みの影響は受けているだろう。ただ、ここで死守されているものはあって、それはフローの意識なのだと思う。短歌形式が結実、結晶に向かおうとするなかでの、ストックではなくフロー。「~積もった ~USBだ」という一字空けの構造もそうだが、積雪のことが先に述べられ、後にUSBが来る、この語順も水が氷にならないようにできている。今手元にあるUSBを端緒としてそれをもらった日の積雪のことをたぐり寄せるならば、語順としてはUSBが先、積雪のことが後になるのが順当だろう。でもそうすると一首はUSBを中心としたひとつの凝りになりストックになるはずである。そんな状況を一字空けと語順が回避している。歌の上で積雪とUSBはあくまでも他人のような素振りを貫いていて、このふたつを結びつけるのは定型の仕事ではなく読者の仕事になっている。絶妙な技である。

半年前のとある日に積もった雪は今はもうない。USBをくれた人も今は目の前にいるわけでなく遠のいている。その日の記憶全体が本来であればあとかたもなく溶け去っていたのだろう。でも手元にあるUSBだけは完全なかたちをして目の前に溶け残っている。USBは略さずに言えばUSBメモリであり、パソコンのデータなどをその内部に保存する記憶媒体のことを指す。だけれどもこの歌ではUSBというかたち(外部)に溶け去ったはずのとある雪の日の記憶がこびりつき保存され、手にした瞬間にその記憶が呼び出される。「~積もった ~USBだ」という一首の構造はとてもそっけなく見える。が、人目につきづらいところでフローは死守され、内部外部の反転したUSBの保存機能が活躍している。丹念で透明な技術、というものを思わずにはいられない歌である。

 

言わないと伝わらないということが不思議なような天井がつづく

 

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