郵便ポストのように自販機は無くなる自販機の下の世界も

山下一路『世界同時かなしい日に』

 

一読、郵便ポストは「無くなる」ことを比喩する側になるほど、そんなに無くなっているものなのか、といううすい感覚が湧く。疑問、まではいかないし不思議とも違和とも言えないくらいのかなり微妙な位置にこの「郵便ポストのように」はある。もしかしたら行きつけの郵便ポストが無くなったという個人的な現実があったのかもしれない。また、このポストは今の四角いポストではなく昔あった丸みのあるほうのポストのことを言っている可能性もある。もしくは郵便制度の象徴としての郵便ポストであって、民営化以降のあれこれをここに重ねて読むこともできるだろう。と、ひとつの比喩がふらふらとしながら歩いていく。比喩というもの、特に直喩はなんだかんだで電車のように目的地までまっすぐに進むものだと思っているので、この歌の直喩の千鳥足は大丈夫か、大丈夫なのか、とその行く末をついつい見守ってしまうような作用を読者であるわたしにもたらしている。そのうえで個人的な読みとしては郵便ポストの赤オレンジみたいな強烈な色、また金属質の重量感や頑丈さを前提にそれが撤去されたあとの空白に対する感覚や、いつもあって今日も当然あるはずのものがないという喪失感が「郵便ポスト」から「自販機」へ渡されているのだという感じで受け取った。

ポストも自販機もそこにあるべきもののような顔をしていつも堂々と街なかに立っている。が、撤去されるときには一瞬でいなくなってしまう。そういうものである。そして自販機。その下の隙間の暗くて湿っぽい場所。あの場所も不思議というほどでも違和という感じでもないけれど、妙に心惹かれる場所ではあると思う。何かがありそうで「ちょっと覗いてみたいでしょう」と誘ってくるようなくらがり。で、覗いてみたら綿埃が鎮座していたり、わらじ虫やハサミ虫ような地味めの昆虫がうごめいているようなところ。これはもう、ひとつの世界である。自販機という世界の一部が取り払われることで、その下ではひとつの世界そのものが消滅しあっけらかんとした空間に取って代わる。とはいえ、それがコーラのような濃いさびしさに結晶化するまではいかずポカリスエットくらいのごくうすい感慨となってただよっている。

 

自販機を乗せたブロックに顔おし付けて落ちている硬貨を拾う

 

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