居眠りの少女が腕に寄りかかる『めだかの飼い方』ひざに広げて

山本夏子『空を鳴らして』

 

これは電車内の出来事だろうか。たまたま乗り合わせた少女が電車の揺れのなかに眠ってしまい、その体をこちら側にあずけている。視線を落とせば本がひらかれたままになっていて、そのページにはめだかの絵や餌についての情報などが書かれていたのだと瞬間的には想像するのだけれど、『めだかの飼い方』というタイトルが明らかになっていることを考えると(本のタイトルは本がひらかれた状態ではおそらく知ることができない)、それなりの厚さの本というよりももっと簡易なパンフレットやもしかしたら手作りの一枚紙のちらしのようなものだったと考えるのが自然であるだろう。厚みのある本ではなく簡易なパンフレットやちらしであれば、そこにはめだかを飼うことの楽しさが(楽しさだけが)溢れている。限られた紙幅だから、めだかを飼うのはこんなに楽しいことですよ、というわくわくに重点が置かれていて、めだかという生きものの儚さや飼育の難しさにはそこまで詳細に触れることができない。おそらく少女はこれからはじまるめだかとの日々にときめきいている。腕に寄りかかられながらその少女のときめきに思いを馳せつつ、それでも大人の視界にはめだかの小さな生涯の全長がおさめられる。めだかの寿命はだいたい二年くらいであるし、育てかたによってはあっという間に死んでしまう。少女とめだかはまだ出会っていないけれど、大人の頭はこれからはじまる邂逅から別離までのみじかい距離を瞬時に把握してしまうはずである。

簡潔できっぱりとした言葉づかいによって、一見、健やかな少女の視界だけが見えてくるような歌だが、このように少女の頭越しにうっすらとして広がっている大人の視界があって、そちらのほうにこの一首の核心があるだろう。ときめきと無常とはなかなかひとりの身体のなかで両立しづらいものだとも思うのだけれど、この歌では少女のときめきと大人の無常が一首の身体のなかでしずかに両立し、どちらかと言えば無常のほうに傾いていく。夏の日射しを直視したあとのように、まぶしいのか暗いのか判別ができないままだんだんとまぶしさが引いて暗さだけが溶け残る、そういう感覚、後味をもった一首である。

 

飛行機で強く描かれたひとすじが意志を失うまでを見ている

 

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