『ナムタル』土岐友浩
歌集としては新型コロナウイルスによる生活の変化や制限をモチーフとして編まれている。マスクが欠かせない日常があったり、ワクチンの予約をしていたりという記憶が新しいが、さらに、人の心の深層に起こった出来事のようなものが、この歌集を読みなおしてみるとじょじょに浮かびあがってくる。
たしかに当時から「正解がわからない」という感覚、大部分は正解があるのだとしても、なにか一部分が読み取れないような不安に苛まれ、しかも今に至るまで、わからなさの影響下に置かれたままという気分がある。いちど女性の横顔に見えるとそうとしか見えなくなるだまし絵のような感じだろうか。「正解がわからない」ということは、いくつか取りうる可能性のうちどれが正解なのか不明である、という状況がひとつと、元から正解がない問題(解なし)に対して、正解が出せると信じ続けているだけではないかという疑いのことも指している。なんというか、クイズやテストであれば問題に対する解答、仮説に対する事実という関係が成り立ちうるが、把握可能な因果をかけ離れてもっとぐずぐずになっているのが目に見える現実であって、視野の中で無視することもできていたその現実を強制的に認識したままの今に至っている。しかしどれほど煮込まれた現実であっても、まだひとすくいの正解を知りたいと願い、ときに達成してしまうのが人間、とも思える。
「昔からのこと」が歌の中でじりじりと響いている。ある出来事を境にそう感じるようになったとしても、実は昔から変わらなかったものをふいに知っただけだという。デジタルでいえば0から1への瞬時の変化だが、1になる瞬間まで少しずつ水が注がれ続けているのだというよくある言い方を置き換えたのが「昔からのこと」だと思う。ローストビーフは低温調理された肉で、じっくりと熱が入り、半生に見えるけれども火が通っているという料理になる。定番の盛り付けとして薄くスライスされた断面も、じっくりと熱が入ったことをみずから証明するかのようなグラデーションの色合いになる。人間がたどってきたのもローストビーフのようなじっくりとした時間、ただし途方もない長さのもの、こういうたとえだと思うが、肉食や調理といった文化の部分にも文脈が食い込んでいるのが読みどころといえる。
ちなみにこの人はいま現在、ローストビーフをどうやって冷やすか、という問題にじつは取り組んでいるわけである。できたての熱いローストビーフを食べることはなく、冷製にしてあることがほとんどだろう。火入れを止めることは調理工程の終了を意味する。もう火を止めてもよいか。いつから冷蔵庫に移すか。または買ってきた惣菜であっても、あまり冷たくしすぎると、風味が乏しいのではないか。なにか身近で具体的な疑問に対する正解を探している歌である。ただ、作業を進めるキッチンの背景には、人間が長く経験してきた出来事が山積みになって見える。
