遠くから見下ろすビルの屋上が風の袖口のように小さい

竹中優子『輪をつくる』

 

袖口という言葉はさまざまに応用が利くようでいて、実際には99%以上は衣服について用いられる言葉なのではないかと思う。いや99%は言い過ぎかもしれないけれど95%はそうだろう。だから袖口と述べられたときそこには衣服のイメージが当然重なってくる。とともに袖口は口でもあるから、ふーと風を吹きだす場所として間違いのないイメージを持っている。そうであるけれど、「風の袖口」として表れている場所はビルの屋上である。開けられた口には空間しかないこととビルの屋上がコンクリートで塗り固められていて空間がないことと、正反対のようにも思われるものが一首全体のなかでは特にこれといった齟齬も起こさずにしっくりきている。つづけて言えば「風の袖口のように小さい」も「風の袖口」を見たことがない者にとれば比喩がきかないはずのものである。たしかに衣服の袖口というところを想像すれば小さいものだという気もしつつ、風の袖口までその小ささを持ってこれるのか冷静になって考えると「あれっ、あれっ」っとなって頭がバグる。局所的に一首の言葉をみようとすることで頭がバグってしまうわけだが、そうなってからでも改めて一首を読みくだすとバグった頭に軟膏が塗られていくように違和感なくこの歌を受け入れることができてしまう。すーっとして歌が分かった気にさせられてしまう。

色だと思う。一首の色が見事に統一されている。何色だと言うのは難しいのだけれどしいて言えば灰色であることの無色、である。町の俯瞰であればさまざまな色彩が歌にも表れてくるはずのところ、この歌には色彩のバリエーションがない。ビルもビルの屋上も風もすべて灰色であり、すべて灰色であることが灰色を無色に変えているのだと思う。一首の口調のごくなだらかな起伏も色にするならば赤ではなく緑でもなくもちろん黄色でもなく黒でもない、そうしたさまざまな色を除いていったところで行き当たる灰色なのだという気がする。昂ってもいない落ち込んでもいないテンションの口調に灰色であることの無色が出ている。ビルの屋上はたしかにコンクリートで塗り固められているから灰色なのだが、この歌にとって灰色は無色となりビルはぽっかりとした口をひらいてみせる。灰色という無色がこの歌の眼下にひろがる町に発生するすべての出来事を解決していくのだと思う。

 

落ち葉ふるコンビニ前の人影が野球帽かぶる老人になる

 

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