一度だけ歯が生え変わる子供たちそこから先の時間の永さ

原田彩加『黄色いボート』

 

この歌を読めば読むほどに、歯というものの独特な立ち位置に惹きつけられる。口という暗く湿った場所に小さくて白くて硬い物質が整然と並んでいるさまの奇妙さをあらためて思う。一度だけ生え変わるというのも不思議である。髪の毛のように抜け落ちるたび生えてくるのでもなく、爪のように伸びてきたら強制的に切り離されるわけでもなく、歯は子供の成長にしたがってぐらぐらしはじめ、やがて抜け落ちそこから永久歯がたった一度だけ生えてくる。永久歯とはけっして永久の歯ではないけれど、それでももう二度と永久に生え変わることのない歯である。

歯そのものも奇妙だが、この一首もなかなか奇妙で子供の歌は子供への心寄せがあってはじめて成り立つようなところがあるはずなのに繰り返し読んでみてもそうした心寄せが希薄な気がする。そうなってくるとこちらとしてもどこかに心寄せが潜んでいるものを見落としているのではないかと目を凝らすのだが、一首のうちにそれは見当たらず子供たちは蝋人形のような表情をしているなか、ただ永久歯の白さだけが浮き上がってくる。「そこから先の時間の永さ」という下句もどこかぶっきらぼうな感じがする。「希望に満ちた未来」や「夢にあふれた将来」のようなものはきれいに洗い流され、逆に「大人になっていくことの過酷さ」みたいな色付けもまったく感じない純粋無垢な時間の永さであるだろう。だからなのか、この歌を読むとき白い永久歯の不変と顔面の盛衰がタイムラプスの映像となって見えてくる。中学生になり高校生になり社会人になり中年を迎え老境から死に到るまでの顔面の移り変わりが永久歯の不動とともに映し出される。時間の進みのなかをせわしなく変化していく顔面の内部に過去の一点を固く握りしめたまま永久歯があるということ。一生の出来事が顔面だけにクローズアップされているという点で掲出歌にはなかなか比類がないのではないかと思う。奇妙な持ち味だけれど、しかしその奇妙さのなかに人間の一生の他では見ることのない一側面が呆然とまたあざやかに浮かび上がっている。

 

しゃがみ込むわたしを包み込んでいる一年分のサイダーの泡

 

 

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