人が起きたあとの布団のくたくたに猫は寝てその墜落的幸福

酒井佑子『空よ』

 

言葉の緩急、ということを思う。「人が起きたあとの布団のくたくたに猫は寝て」までが十分にやわらかい。「人が起きたあと」も「布団のくたくた」も「猫は寝て」も角の取れた丸みのある言葉であって生活のなかの脱力がよく出ているという気がする。起床の時間はたしかに一日のはじまりということを考えればしゃきっとした時間でもあるけれど、それでも寝床にはまだまだ慣性の法則が働いていて人間が抜け出したあともだらりと脱力したままの場所としてそこに残される。そして猫である。この猫はきっと夜も人と一緒に寝ていたはずである。人が起きて猫も一瞬は起きる。起きるけれど気づけば猫はまた布団の上で寝ている。猫は基本的に気持ちいいことをつないで暮らしている生きものだという感じがして、眠りは気持ちいいことの最たるものであり、だから一日中寝ているのだと思う。人はそんなふうに暮らしていきたいと思いながら、なかなかその願いを実行に移すことができない。そんなことをしたら生活がままならなくなることを知っているから、だいたいは朝になれば飛び起きてさまざまな行動を起こすことになる。猫は一日中寝ていても、一日中寝ていることに対して不安を持っているようには見えない。その瞬間の気持ちよさを満喫して、次の気持ちよさへとつなぎながら後ろ暗さをみじんも感じさせない強さがある。「墜落」のまっすぐに落ちていく勢いのよさに恐怖心を抱くことのない生きものだけが、その先にある幸福へ辿りつくことができるのである。この「墜落的幸福」という語には幸福とはいえ険しさがあって、漢字五文字で築かれたこの鋼鉄のような塊を人が手にすることはそうとうに難しい、そういう感触がある。

酒井佑子の歌は息が深い。字余りや句跨りによって息継ぎのタイミングをみずから失わせながら太い呼気が後から後から吹き過ぎてゆく。吸っていないのにどんどん息が吐かれていく凄さ、また心地よさがあると思う。だからこの歌にも墜落的な猫の幸福のかたわらに、人心の健やかな息の流れが寄り添っている。『空よ』は遺歌集であるのだけれど、至るところでダイナミックな息の流れに出会うことができる一冊である。

 

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