『遠くの敵や硝子を』服部真里子
はじめて読んだ当時に
おびただしい黒いビーズを刺繡する死よその歌を半音上げよ
のような歌のイメージの鮮烈さを少しだけ怖いと感じたのだけれど、何度か読み返したり、思い出したりするうちに怖さはどこか親しみのようなものに変化していく。歌の言葉もそうだし、創作の目的で使われているわけではない日常にあふれる言葉も、変容を伴うものなのだと思う。時代に沿って言葉自身のさす意味や姿かたちが変わることや、いわゆる音変化という事実もあるが、受け取る側の受け止め方もまた、いつしか移り変わっていることがあるのだろう。
「黒いビーズ」の歌でいえば、日常や身中にうめこまれて見えない死、ひとつひとつは小さな粒子であるだけの気配が、何かのいとなみによってぐんぐんと可視化されている光景を刺繡という喩であらわされていることに、目を背けたくなるような驚きがあった。死がちょっとしたきっかけで立ち現れること、しかも、刺繡のようなささやかな手つきの、しかし何時間でも茫然と続けられ続いてゆく手芸という作業の中で。いっぽうでは、刺繡には特有の温かみがある。何年もこの歌の言葉を眺めていると、かぎりない時間の布の上をいまだに刺繡は少しずつ進んでゆき、やがて広大なまでに広がった糸の軌跡や想像上の手つきが、ふしぎと温かなものにも感じられてくる。「刺繡する」あるいは「上げよ」という動詞は、もともと曖昧なテンスであるものが一度は鮮烈な時間の断面化(おびただしい粒のようなものが見える)を受けながら、ゆっくりと、拡がりを取り戻してきたことだろう。
掲出歌はこの歌集ではそんなに目立つように置かれている歌ではない。しかし、「新樹よりするどい影」というややおぼつかぬ表現を用いて、「するどさ」という視点が志向されている。するどくありながら「曳く」という動詞にふさわしいようなぬるついた影の状態があり、「夢のあなた」という現実の時間を存分に無視した対象がある。一瞬で過ぎ去っていく重要な時間の向こうに、もう一度、いくらか見た目が異なるがまるで生まれ直すような豊かな時間の奥行きがあり、本来は不可能みたいな二つの時間を同時に見通すことのできる場所が「夢」である。「風上」に立つことで、この人はほんの少しだけそんな未来の予想を先取りできる場所にいるのだろうか。「あなたの夢」であるより、「夢のあなた」であることで、呼びかけられた人もまた、わずかに輪郭を失いながらこの人と同じような場所に立つことになる。
腕時計したまま水に入る夢覚めてあなたの頰にさわった
