佐佐木信綱『思草』(1903)
このゆったりとしたリズムがまさしく、おおらかに酒に酔っているときの幸福感を表しているだろう。
酔っているときは、細かいことを考えたくない。ただ、酔っているなあと思い、その酔いに心身を浸したいわけである。
そのため(だけでもないが)に酒を飲み、酒に酔うのだから。
筆者の入れ込み過ぎは承知の上の解釈。
この歌の「転」にあたる部分は、「真心もこもれる酒に」である。いくらおおらかな歌でも、この句がなければ歌として成立しない。
「真心も」がいいか、「真心の」がいいかはさておき、酒には「真心」が入っているという把握がいい。
一義的に日本酒を指すのだろう。杜氏が長い時間を原料とともに過ごしながら、みづからの筋肉を使って酒を造り上げてゆく。
極上の日本酒は今でもそうだし、半ば機械化している製造工程においても、結局は人間の五感に頼る部分が多いのが酒造り。
野菜や肉や魚その他の食品でも生産者と捕獲者は、真心をこめて仕事をしているはづだ。しかし、「酒」というものは、「酔い」という回路を通じてもっとも直接に感情に作用する。
その点、「真心」という言葉に近いのではないか。
真心もこもれる人参とか、真心もこもれる牛肉、とは沁みいり方が違うのである。