君の声も混じっているように思われて春の来るたび耳を澄ませる

花山周子『屋上の人屋上の鳥』(2007年)

「君の声」を感じているのは春嵐。
この歌のおかれている「春Ⅲ」の一連では、しきりに春の風が詠まれている。
砂塵をまきあげて吹く春の南風は、ときおりひとの神経になんらかの作用をするようだ。あるひとは気もそぞろになり何も手につかないと言い、またあるひとは塞ぎこんだりするらしいが、この歌には鬱鬱とした印象もなく、明るいあっけらかんとした春という感じだ。

春の霞んだ空のした、生きものたちの蠢きにあわせるように、気力が漲ってくる。
好きなひとを思い出す。いつも逢いたいひと。
春の風に混じって聞こえるような気のする声は、どんなだろう。

もしかしたら、そのひとは遠くにいるのかもしれない。いつもは遠い君の声も、春嵐にのってわたしの傍にやってきてくれる。そんな想像をするのも楽しい、春の日。

「春の来るたび」という一節に、君をおもい続ける時間の長さを知る。
そして、「耳を澄ませる」というストレートで純粋な動作とその表現には、君への強い気持ちがある。
長い時間をかけておもい続け、つかみとりたい何かがあるという姿は、あぶなかっかしいけれどきよらかである。

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