魚村 晋太郎


鳥の重みに揺れてゐる枝 どのやうに苦しむべきかわれはわからず

中津昌子『夏は終はつた』(2005年)

枝をうつる鳥の重みで、枝がゆれる。
どこにでもある風景だが、そんなささやかな気配に人が目を向けるのはどんなときだろう。
自らのふさいだこころのうちを見つめるように向けられた、しずかなまなざしがそこには感じられる

仏教では、生、老、病、死を四苦、さらに愛別離、怨憎会、求不得、五陰盛、を加えて八苦という。
どのような苦しみも、苦しみにちがいはないが、涙をながしたり、怒りをあらわにしたり、苦しみを外に向ける回路を持つことができるとき、それはいくばくかの救いになる。

誰を責めたらいいのかわからないとき、何が間違いだったのかわからないとき、遣り場のない苦しみは、揺れやまぬ木の枝のように主人公のこころを占め続ける。
ほんとうに苦しいのは、どのように苦しめばいいのかわからないとき。
たしかにそうだ。

誰もが経験することだ、と自分に言い聞かせることも、苦しむ人にとってときには慰めになるが、主人公はそんなふうに思うこともできない。
たったひとりの自分にとっての、たったひとつの苦しみとして、まるで慈しむようにその苦しみとながく向き合うのである。