雑踏にまぎれ消えゆく君の背をわが早春の遠景として

大辻隆弘『水廊』(1989年)

まだ寒さの残る春のはじめ。別れ。雑踏のなかへ去っていく君を、見送っている。ひとの波に見え隠れしながら、やがて見えなくなる後姿。
「消えゆく君の背を」という一節がとてもさびしくひびいてくる。
姿が消えた瞬間。ずしん、と喪失感がやってくる。それと同時に、君の背の残像がずっと眼の裏に消えない。

喜びや悲しみを強く感じた後何年も経つのに、その瞬間の映像が何度もフラッシュバックすることがある。
そうして映像が呼び出されると、とうぜんそのときの心理状態もよみがえる。
ふいにそのときの自分に連れ戻されて、呆然としてしまう。

「君の背」に向かってなにか呟いたのか。
消えた後どれくらいそこに立っていたのか。
そして、背をみせて去った君はどんな表情をしていたのか。
場面は歌を読むひとによってさまざまである。
けれど、この歌のなかで焦点化された去りゆくひとの背中は、たったひとつ。それは、「早春の遠景」として決して消えることはない。

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