香りたつ栄螺の腸を巻きとりてふつと誰かを許したくなる

森岡千賀子『坂のない町』(2005年)

さざえの旬は春先から初夏にかけてといわれ、俳句でも春の季語である。
貝殻には角と呼ばれる突起があるが、角の目立つものは波の荒い外海の産、目立たないものは内海の産、という。

食べ物の好みは、年齢によってずいぶん変わる。
子供の頃は、貝なんてあまりおいしいとは思わなかった。
ほろ苦く、ややえぐみのあるさざえのわたの部分など、特に敬遠していたように思う。
大人になると、そのほろ苦さや独特の香りが、なんとも言えない美味に感じられてくる。
山菜のほろ苦さや、きのこ類の独特の香りにたいしても同様である。

人間の人柄も、長所だと思っていたところがだんだん鼻についてくることもあれば、欠点だと思っていたところにふと愛着がわいてくることもある。

主人公はさざえの好きな人なのだろう。
いっきに身をぬこうとするとわたの部分がちぎれてしまうので、貝殻を回転させながら、巻きとるようにしてとるのである。
見た目もあまりよくないわたの部分には、春の海の香りがつまっていた。
季節の息吹を感じると、こころのなかがすっとひとまわりひろくなる。
誰か、というから特定の人ではないのだろうが、他人の性格の灰汁(あく)のような部分さえ、ふっと許せそうな気持ちになるのだ。

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