黒瀬 珂瀾


生きがたき世と思ふ夜半開きたる丘(きう)の言葉もやせがまんなる

上條雅通『駅頭の男』

「生きがたき世」と思うことは、誰にもしょっちゅうある。そう思い続けること自体が生きることじゃないのか、そんな錯覚が訪れることもある。この「生きがたさ」を鎮める療法として、古来、重んじられてきたのが読書。古賢の教えを仰ぎ、自らの心を浄化するのだ。

開いた本に書かれているのが「丘の言葉」。「おか」の言葉じゃない。「きゅう」という人の言葉だというが、さて、この「きゅう」は誰か。読書好きの人はわかるだろう。氏は孔、諱(いみな)は丘、字は仲尼。要するに孔子だ。眠る前にひもといた論語がらみの本。孔子の言葉が並んでいるが、改めて読んでみれば、なんだか孔子もやせ我慢しているように思える。

子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉、可謂好學也已矣(子曰く、君子は食飽かんことを求むること無く、居安からんことを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ)

いや、そりゃ理想はそうかもしれんけれど、そんなこと言われてもあんた、世に容れられない人間のやせ我慢にしか聞こえんよ。と、本を相手に独り言をつぶやく時、なんだか自分の気持ちも軽くなったのに気づく。古代の聖人君子も、自分と同じように生きがたい心をなんとか取り繕って生きてきたんじゃないのか。だから、孔子なんて改まった呼び方ではなく、本当は親や君主しか呼ぶことを許されない諱で呼びかける。なあ、丘よ、そなたも苦労したのう。

 

 各々に未定の一死賜はりて夜半の電車に身を委ねゐる

生きることにはどこか、情けなさがつきまとう。そんな心が歌となってこぼれおちるとき、さりげない人生ならではの渋みが、静かに漂ってくる。

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