夥しき未知の箪笥の育ちゐる林と思ふ雨水の午後に

魚村晋太郎『銀耳』(2003年)

今日は、二十四節気の雨水(うすい)。雨水は、空から降るものが雪から雨に変わるころのことをいう。

今朝の京都は晴れて空は薄い水色だ。雨が降る気配はないが、ここ数日、大気は確かに緩んだ感がある。部屋の窓から西山が望める。山はまだ冬の暗緑色に覆われ、穏やかで、なにごともないが、植物の生命力はいよいよ高まり、芽吹きの準備を進めていることだろう。想像すると、心が早くも高揚してしまう。

掲出歌は雨水の日を詠う。普通、林の中で箪笥は育たない(そもそも箪笥は生きものではない)。シュールすぎて上句が分からないかといえば、案外そうでもない。林の木々に紛れて大小の箪笥が生えつつある図を私は思い浮かべた。箪笥に木の質感があることに着目している作者の巧みな手に乗れば、林の植生に箪笥が交じるという飛躍に、読者は十分ついていける。「夥しき」とあるから箪笥の数、無数である。「未知の」は、「まだ誰も知らない」という意味で解した。林の中で、まだ誰も知らない箪笥がにょきにょきと無数に育つ。「夥しき」と「未知の」が付くことで、不穏なまでに得体が知れず、底知れない箪笥の生命力を表している。「雨水」という季節の言葉から、季節が持つ本来の野性を引き出している。

 

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