去年の冬のわが知らざりしわれとして来て蠟梅の香(かう)にまじりぬ

横山未来子『花の線画』(2007年)

蠟梅は2月ごろに黄色い花が咲き、強く香る。掲出歌は「香にまじりぬ」とあるので、辺り一面に蠟梅の香りが満ちているような所、たとえば梅林にいる場面として読んだ。ここでは、「まじりぬ」の「まじる」という動詞がとても良く、香りの満ちた空間に「われ」が静かに入っていく様子を端的に表している。春になる直前、冬も最終のころに咲く花の香りから、「去年(こぞ)」の同じ時期のことを思い出し、今の自分は、その時には知らなかった自分なのだ、という感慨を抱く。

時間はいつ動くのか、といえば、過ぎた時間を振り返った時だろう。日々、刻一刻と確かに時間は過ぎる。だが、人はその渦中にある時、自らや周囲が変化していることに気づかないし、変化の途上にあるものはまだ「変化」ではない。過ぎた時間を、1か月、1つの季節、1年など、あるまとまりとして把握した時に、初めて変化を知ることができる。毎年同じ時期に咲いて印象深い香りを放つ「蠟梅」を標(しるべ)に、作者は1年分の時の嵩と自らの変化を、見いだしているのだ。

 

同じ歌集には、次の歌もある。

  ひと夏の時間の縁(ふち)にわがありて水撒けば草を発てる昼の蛾
  野分過ぎし道に黄葉(もみぢば)乾きをりひととせはわれを此処に連れ来つ

季節はそれぞれ夏、秋となるが、「蠟梅」の歌と同じく、時間のまとまりを把握する歌である。

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