面長き享保の女雛のまなじりにやどれり春の破れた力

中川佐和子『霧笛橋』(2007年)

雛人形にも時代に応じた特徴があるようだ。最近は、丸顔にぱっちりと大きな目の童顔の女雛が流行している、というニュースを見た。映像に出た数々の丸っこく睫毛の長い人形を見て、可愛らしければいいというものでもない、と複雑な思いがした。子供のころ、雛人形を見ると「怖い」と言って泣きだす子がいたことを思い出したが、それはそれでいいのではないか。

 

さて、掲出歌は「享保」の女雛を詠う。「面長」の顔の、特に「まなじり」が作者の心をとらえた。そこには「春の破れた力」がやどるという。切れ長の目のまなじりが、きゅっと上がってまっすぐに前を見る、迫力のある顔を私は思い浮かべた。「春の破れた力」には、人の理解を超えた、長い時を経てやどったかのような、超然たる迫力が感じられる。

 

調べてみると、「享保雛」は、江戸時代半ばの享保年間(1716~1736年)以降に流行した雛人形の様式をいうのだそうだ。金襴や錦を用いた衣装が豪華で、女雛の十二単には綿が入ってはちきれそうに膨らんでいる。張りのある面長な顔に、切れ上がったまなじり、口角の上がったおちょぼ口。なんとも迫力のある笑みを投げかけられているように感じる。現代の「可愛い」からはほど遠いが、めでたく、やはり愛らしい。掲出歌の「春の破れた力」とはよく表されたものだ。見た者に笑みをもよおさせる人形をよく捉え、温かく、やはり笑みをもよおさせる言葉になっている。

 

この1首を含む一連は「女雛男雛」と題され、次の歌もある。

  吉野雛一刀彫の木の肌のぬくみもなべて春のただなか
 
  吉野雛仕舞える脚のいかばかり美しからんと夜に想えり

  古今雛その玉眼のたゆたえる春のただなか語りかけたし

  覗き込む薄闇のなか芥子雛がこころのなかへすとんと落ちる

吉野雛は立ち姿の雛をいう。古今雛は、江戸時代の安永のころ(1772~1781年)に作られた、玉眼をはめた雛。芥子雛はきわめて小さい雛人形のこと。雛人形展にいるのだろう、心をかよわせるごとく人形に向き合う姿の見える一連だ。

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