澤村 斉美


残されし私物のゆえによみがえる人の名のありすすむ昼飯

田中濯『地球光』(2010年)

 

科学者として研究室に所属する作者である。大学の研究室では、学生の卒業はもちろん、同僚や上司の異動もあるだろう。掲出歌は、ある人が去った後の場の日常を、残った者の立場から詠う。

「残されし私物」は、去った人の忘れ物かもしれないし、「皆さんで使ってください」と置いていかれた物かもしれない。その物をきっかけに、去った人の名が思い出されるという。「よみがえる」は、簡単にいえば「思い出される」だが、私はもう少しにぎやかな場面を思い浮かべた。

「これ誰の?」
「ああ、○○さんのじゃない」
「○○さんが置いていったんだよ」

人の出入りが落ち着いて日常に戻った場の、なにげない雰囲気なのである。「すすむ昼飯」は雑務の合間に昼ごはんをかき込む感じだ。すでに忘れられつつある人の名前が、そんな雑然と過ぎる時間にふとよみがえる。

学生のころ、まだこのような場面を経験しないうちにこの歌に会い、以来、春になると思い出す。人を送り出す立場の時、やはりこの歌のようなことが起こる。そして、自分が去る立場のとき、私物を残さないように妙に注意深くする癖がついたのも、この歌が頭の隅にあるためだ。